
道圓という旅僧が祀られています。
そのお坊さんは、荒れる川を鎮めるため、人柱が必要だと言ったそうです。何度堤を築いても、大水によって流されることが繰り返されていたからです。そう言われても、簡単に誰かが犠牲になったりできるものではありません。道圓和尚は、であればと、自分が堤の中に埋めてもらい、竹筒で生きながらえながら、村人がそこを中心に堤防を築く間中、お経を唱えていたと言います。そしてついに、強固な堤防が出来上がり、以後堤が破れることはなかったそうです。お経は堤から21日間、聞こえ続けていたとのこと。
道圓さんが犠牲が必要だと考えたのはなぜか。自らがその身を捧げていく決心はなぜついたのか。
人が協力して何かを成し遂げる時に、誰かが献身的に働いていることがきっかけになることがあります。ですが、何も死ななくても、と今の価値観で私たちは考えてしまいます。その頃は、生と死が今のように別次元のこととして分離していなかった時代のことかと思いますが、塚が築かれたのは天保年間のことだそうです。あと30年もすれば明治になる頃のお話でした。
ものずき村では、献身的に働く人々が集まっていますが、それは誰かが犠牲になっているのではなく、集まっている人たちそれぞれが、自分が楽しいと感じることに精を出しているところが魅力的なのだと感じています。
今日の魚沼も大雨で、破間(あぶるま)川の水かさが増していました。あと1ヶ月もすると、降る雨は雪に変わり、魚沼の里全体が雪に覆われていきます。ものずき村の営業も、11月末で冬のお休みに入ります。

(2021.10.20. )