街道の達人

街道沿いのお地蔵さま

ものずき村は国道252号線のロードサイドにあります。その道は新潟県柏崎市から福島県会津若松市までの200kmあまりを結んでいます。

252号線のロードサイドにあるものずき村(冬)

かつて、この地に会津街道と呼ばれる街道がありました。それは、252号線上にある魚沼市堀ノ内から福島県会津地方までを結ぶ道でした。この道が元来どこを通っていたのかを研究し、道標を探索する「魚沼歴史風俗探究会・会津街道部会」という会があります。行動規範は単純で、会費なしで街道を辿り、新たな発見することを目的として25人強が会員となっています。今日は4人で出発です。

出発します

田んぼの中に突然現れる庚申塔が旧街道の集落の入り口を示していたり、崖縁の洞穴にある観音様が往年の旅人の冬の豪雪時の避難所となっていたことを想像させたりします。街道沿いには時空を超えたロマンが存在します。これをたどることができる”しるし”が、この越後と会津の間には多く残されています。

ここが街道の渡河ポイントかな
地蔵群の奥にも驚く量の石碑が
雨の中、国道整備で集められたもの

会津街道を今でもたどることができるのは、都会のように建物や道路が上書きされ続けておらず、基本的な地形や道が今も昔のまま残っているからですが、それでも少しずつ形状は変わっていきます。

こちらは現代の構造物。これは雪崩留め
部会長の清塚さん。好奇心を原動力に会員を引っ張る

会長の清塚さんは、70代後半でありながら健脚と鋭い観察眼を持って今でも会津街道のルート跡を先頭に立って辿っています。

「あの山の向こう」に興味を持った少年時代が原点と言います。好奇心にあふれる心を持った人の、いきいきとした姿がたくさん見つかる魚沼です。

(2022.7.23)

編集された街道研究
六十里越えの北側にあった八十里越え。そこに至る連絡路の探査
あぶるま川右岸は昔の会津街道。急峻な崖に沿って行く
もっとも崖道が細くなったあたりにあった洞窟。穴観音の名が見える。
向こうは平石川第四陸橋。ここを只見線で越える時は赤が美しい

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